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村野瀬さまのところで、過去記事から素晴らしいものを見つけました。 全転載させていただきますが、長いので先ずはその1。 『 多数の国民が反対する法案の通し方(政府与党・自公政権に捧ぐ) 改憲手続加速法(いわゆる「国民投票法」)を5月3日の憲法記念日までに与党の単独採決ででも成立させたいと自民党の二階俊博国会対策委員長が語ったと報道されました。
障害者の生活を追い詰める「障害者自立支援法」、教育の主体を主権者である国民から権力者へと移す布石である「教育基本法改定」などの重大な法律を、国民の理のある反対を押し切って成立させた政府与党らしい意思表明です。
改憲手続加速法(いわゆる「国民投票法」)は、たとえばお玉さんのこちらやうさあさんのこちらや法律家DANZOさんのこちらで書かれているように、道理のない法案です。また、与党単独で強行採決する緊急性もありません。民主主義の原則に忠実な国民が強く反対するのは当然のことだと思います。
さて、私の秘書課広報室ではちょっと視点を変えて、このような「多数の国民が反対する重大法案」を一点の曇りもなく民主主義的手順にしたがって堂々と通すにはどうしたらいいか政府与党・自公政権に伝授します。
例として引き合いに出すのは、1981年のフランスでの死刑廃止のプロセス。おもに次の文献を参考にまとめます。
「そして、死刑は廃止された」(ロベール・バダンテール著、藤田真利子訳、作品社)(フランス語版原著は2000年、邦訳は2002年)
「1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-250.html
1981年のフランスでは、死刑反対の世論は約33パーセント、死刑賛成の世論は約63パーセントだったそうです。この情勢で、どういうプロセスで死刑廃止がなされたのか、改めてそれを見ていこうというわけです。
死刑廃止を支持する私とはちがう考えの方もここを読んでいらっしゃると思いますが、どうか以下もお読みいただければ幸いです。
まず、フランスで、最初の議会制議会で死刑廃止が提起されたのはフランス革命直後の1791年にさかのぼるということを思い出さなければなりません。それから190年の間、多くの文化人、政治家、もちろんあらゆる政治階層の一般男女の中にも死刑廃止を 願い、主張した人は大勢いました。実際に死刑の適用範囲が制限されたり、死刑が実質上停止されたりした時期もありました。それでも死刑制度そのものはずっ と生き延びてきました。それには、世論の多くが、凶悪犯罪が起こったときに特に憤激し、犯人の死刑を支持したということもあります。
たとえば、当時を知るフランス人が今も覚えているであろう代表的な事件が、1970年代のパトリック・アンリ事件でした。フランス東 部、シャンパーニュ地方オーブ県の県庁所在地、トロワで1976年2月、8歳のフィリップ・ベルトラン少年が身代金目当てで誘拐され、行方不明になりまし た。ベルトラン家と付き合いのあった若い男性パトリック・アンリが容疑者として取調べを受け、容疑不十分で釈放になった後、「こんな誘拐事件の犯人は死刑 にすることに賛成だ」と発言しました。(また、それより前にトロワで起こった別の殺人事件の裁判のときに裁判所を囲む群衆の中にいた彼は死刑を叫んでいた そうです。)その数日後に、アンリが彼の借りていた部屋にいたところを警察に取り押さえられたとき、ベッドの下から死後約1週間のフィリップ少年の死体が 発見され、殺人者アンリへのかつてない憎悪がたちまちフランス全土に広がり、世論は沸騰し、マスメディアはもちろんのこと、二人の内閣閣僚まで三権分立の原則を無視して死刑を叫びました。このような場合、世論が死刑賛成に振れることは、人間の感情の常だと言えることでしょう。(なお、フランスにおける凶悪犯罪の代名詞のようになったこの事件で、近くの町の弁護士会会長ロベール・ボキヨンとともにパトリック・アンリの弁護を引き受けたのがバダンテール弁護士で、その弁護によって最終的に死刑判決は回避され、パトリック・アンリは終身刑の判決を受けました。)
それでも、死刑廃止は多くの人々によって脈々と主張され続け、死刑には犯罪やテロリズムを抑止する効果があるとは言えないという事実が時代を超えて、国を超えて、少しずつ積み上げられてきました。死刑が民主主義とは相容れないという思想も徐々に広がっていったでしょう。それは、フランスだけではなく、ヨーロッパ諸国でもそうで、実際、ヨーロッパ議会からは死刑に対する反感が表明されていました。
死刑廃止に向けた政治家の具体的な動きは右派、左派の両方にありましたが、世論を恐れてフランスの政治家は1970年代も死刑廃止に 向けたはっきりした行動をとることをためらっていたと言えるでしょう。プライベートな場では死刑に賛成でなくても、世論や自分の選挙のことを考えて、公的 にはなかなかそうは言えない政治家も多かったと思います。たとえば、1974年から1981年まで大統領を務めた保守派のヴァレリー・ジスカールデスタン は1981年、再選をかけた大統領選挙前にこう言っていました。「わたしの任期中に死刑は適用されてきた。現時点では、政府が議会に死刑廃止を提案するべきではないと考えている。平穏な社会にあってしか、このような変更を行なうことはできないと考える。(…
そしてそうした平穏がフランス社会全体にゆき渡らないかぎり、死刑廃止はフランス国民の気持ちに大きく逆らうことになるでしょう。わたくしはフランス国民を代表して統治を行っているわけですから、国民の気持ちに大きく逆らう権利はないものと考えます。」たしかに、1970年代頃は、死刑賛成が60パーセント超、死刑反対が30パーセント前後、といった世論の分布だったようで、死刑廃止に賛成の意を表明することで選挙民の支持を失うことは政治家としては怖いことだったでしょう。
このように、1970年代末のフランスでは、死刑廃止に向けた動きが積み重ねられながらも、世論調査にあらわれる死刑存置の世論は多数派でした。
さて、1981年、フランス大統領選挙。社会党の候補者、フランソワ・ミッテランがテレビに出演したとき、死刑についての司会者の質問に、彼はカメラを正面から見て、こう答えたそうです。
「良心において、良心に基づい て、わたしは死刑に反対します。それと反対のことを告げている世論調査を読む必要はありません。過半数の意見は死刑に賛成なのです。わたしは、共和国大統 領の候補者です。(…)わたしは思っていることを言います。わたしの信ずること、わたしの心が信じていること、わたしの信念、わたしの文明への配慮を口に します。わたしは死刑には賛成できません…」
もちろん、選挙の争点は死刑だけではありません。しかし、世論とは反対のこと、選挙向きでない信念をこれだけまっすぐに大勢のテレビ視聴者の前でフランソワ・ミッテラン候補は断言したのです。
フランソワ・ミッテランは当選しました。そして、それに続く国民議会(下院)総選挙でも、公約の中に死刑廃止をかかげた左派(社会党、共産党)が多数を占めて勝利しました。死刑廃止という公約は、世論の審判を二度通ったということです。
下院は死刑廃止に賛成する左派が多数を占め、上院は対立党派である右派の多数派が残る、そういう国会の勢力比でした。1970年代に多くの凶悪事件の被告の弁護を担当して、その多くで死刑を回避させる判決を導き出したロベール・バダンテール氏が法務大臣に指名され、死刑廃止は1981年9月、国民議会での審議にかけられることになりました。
バダンテール法務大臣は夏の間、法案の草案を作成します。戦時下の留保もつけず、代替刑に関する条項も入れず、1848年に作家ヴィクトル・ユゴーが「死刑廃止は純粋で、単純で、決定的でなければならない」と願ったとおり、ただ「死刑は廃止される」という条文を核に、簡潔な法案を作りました。
そして、9月の国民議会での討議の準備として、バダンテール法務大臣は、このめぐりあわせによって死刑廃止という大義を、議員たちの前で擁護するという特権を与えられたと感じ、喜びと情熱に満ちて演説の草稿を書く作業にとりかかり、フランスでは有名なバダンテールの死刑廃止演説が生まれました。全文をぜひお読みいただきたいですが、簡単に言うと、死刑をめぐるすべての論点を一つ一つていねいに取り上げて、死刑廃止は良心の議論であり、死刑廃止が民主主義の原理にのっとったものであり、議員の良心に語りかけて死刑の廃止を要請する内容です。 まず、国民議会(下院)。9月10日、まず、社会党のレーモン・フォルニを委員長とし、右派も左派も死刑廃止論者が多数を占める法務委員会では、一切の修正なしで、つまり、純粋で、単純で、決定的な政府提出法案が採択されました。
さて、9月17日、国民議会でいよいよバダンテール法務大臣の演説となります。
死刑廃止は良心の議論、個人としての社会的意思表明であることを宣言し、
フランスがその思想や主義主張や寛容さの輝きで偉大であることを強調し、
フランスの死刑廃止が遅れた原因は政治的理由であると反省しながら死刑廃止思想を歴史的に振り返り、
死刑には犯罪抑止力はないとデータを提示し、
1981年の二度の選挙で死刑廃止を公約としてはっきりとかかげた左派が多数派を占めたことを有権者と議員との協約であることを思い出させ、
死刑を国民投票にかける道は憲法上ありえないと注意をうながし、
死刑廃止国の経験や死刑廃止を支持する数多くの研究や調査を見ることを呼びかけ、
フランスでの凶悪犯罪発生率は増えているというよりもむしろとどこおっていると示しつつ、なぜ死刑の存在が凶悪犯罪を抑止しないのかという問いに対して殺人者の心理に触れながら回答し、
具体的には、凶悪犯に対して死刑を叫んでいた者が重大な罪を犯して死刑を求刑された例をあげ、
死刑は犯罪抑止の問題ではないことを言った後、自由が体制の中に定着していて実践上も尊重されているすべての国では死刑は廃止されており、人権を軽視する独裁国ではどこでも死刑があり、死刑には全体主義的な意味が含まれることを指摘し、
死刑はテロリストを抑止することはないと述べ、
人権団体や宗教家たちが死刑に反対してきたことに触れ、
死刑支持者が持つ憎悪に関しては、死刑は復讐としても同害報復としても行われてはならないと説き、
自らの弁護士としての経験から犠牲者の不幸と苦しみに触れながら、犯罪は犠牲者にとってもその家族にとっても、犯罪者の家族にとっても、そして犯罪者にとっても不幸であるとして、
責任感ある誰もがその不幸と闘おうと望んでいると言い、
犠牲者の親族が罪人の死を望むことを人間の自然な反応であるとして理解を示し、
それでも、仮に正義の名のもとに死刑を受け入れるならば歴史の論理の中でそれが何を意味することになるのか考え直させながら、さらには死刑と人種差別のつながりを暴き、
死刑のある司法を望むことは、完全に有罪の人間がいるという信念と、他人の生死を決定できるほどに無過誤を確信した司法が存在するという信念の二つを意味するが、それはどちらも誤りだと思うと信念を吐露し、
誤判の可能性や判決の揺れは人間の命をもてあそぶギャンブルであるとたとえ、
犠牲者がいたいけな弱者であることや犯された罪状の凶悪性によっては死刑を残すという提案については、すべての犠牲者は同じ同情、同じ憐憫の情を誘うことを指摘しながら、死刑か死刑でないかをこの点において区別することは不正義を生むとして退け、
代替刑についての条項や戦時に関する条項を急いでこの法案には含めない理由を示し、
改めてこの死刑廃止が議員の良心にかかっていることを訴え、
与野党問わず多くの議員が死刑廃止のために闘ったことやこうして法案を提出できたこと、古来の最も高貴な「奉仕」という意味において大臣職の責任を全うしたことを感謝して演説を締めくくり、全左派与党からはもちろん、一部の右派野党からも拍手を受けます。
その演説の後、二日間続いた討議は長いものでした。採決は記名投票。それは左派与党と二つの右派のうち一つの派の要求でした。党議拘束は無しです。その結果、与党である左派のほぼ全員が死刑廃止に投票しただけでなく、右派のかなりの支持も集めました。その結果は、4分の3を超える賛成票です。
こうして国民議会(下院)で圧倒的多数で可決された死刑廃止法案は、右派が多数を占める上院に送られました。しかし、バダンテール法務大臣は、死刑廃止が無理矢理決議された法律という性格を与えたくなかったので緊急手続きに訴えるのは拒否しました。
学者的な雰囲気の上院法務委員会では、修正案が採択され、否決され、報告者が任務の続行を拒み、という具合に対決が続きました。バダンテール法務大臣は、自信がないままに、ヨーロッパの結束を強く支持する右派の上院議員の前で、ヨーロッパ規模での死刑廃止を強調しようと考え、上院での演説の趣旨をヨーロッパという観点から見た死刑廃止ということにしました。法案の討論には27人の発言者。自由投票が保証されていた中で、死刑廃止について同じ信念を持つ対立する政党の議員たちが奇妙な親和力で結びついていたそうです。
死刑廃止に反対する側から出た最後の修正案は、「殺人を繰り返したときと、秩序維持に当たる公務員に対する殺人と、未成年の誘拐殺人の場合だけは死刑を維持する」というものでした。バダンテール法務大臣は、被害者はすべて同じく同情に値すること、家族のある若者が殺された場合の不幸も、独身の警官が殺された場合の不幸もどちらも同じく悲劇的であること、強姦され殺された若い女性も誘拐されて殺された子どもも、どちらも同じように同情を集めることを思い出させました。そして、死刑廃止というのは道義的選択であって、誰も被害者の苦しみの強さを決めることはできないのだから、被害者の抽象的な区別にもとづいて部分的に死刑を廃止することは考えられないと強調しました。
この修正案は172対115で否決。右派からも拍手が起きます。原案の第一条「死刑は廃止される」は記名投票の結果、160対126で可決。この時点で死刑廃止法案反対派から出ていた修正案はすべて引き下げられ、法案は最終的に挙手で可決。両院往復は無し、第二回の読会も無しでした。
時は1981年9月30日、12時50分。ヴィクトル・ユゴーの願いだった、「純粋で、単純で、決定的な死刑廃止」がフランスで実現した瞬間です。
死刑廃止に賛成しない人でも、フランスのこの190年の死刑廃止史の流れ、そして、1981年のこの選挙と議会審議プロセスが、完全に民主主義的な手続きによって、すべての点を提示して論じつくし、議員一人一人が自らの良心にもとづいて自由に投票し、瑕疵のない合意を下院と上院で形成したことを認めずにはいられないと思います。
興味のある人は、私のまとめよりも、細部の描写に引き込まれる「そして、死刑は廃止された」と、「1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳」を読んでいただければうれしいです。
長くなりましたが、日本の政府与党、自公政権のためにまとめます。
重大な意味を持つ法律を、内容的に民主主義の原則に合致させ、民主主義的プロセスを経て成立させるためには、
公約をごまかすことなく広く明らかにした選挙で信任を得た上で、
議会ではすべての点を提示し、すべての論点から逃げずに、正確なデータと整合的な論理でごまかしなく議論し、
党議拘束も強行採決も無しに与野党の議員が一人一人自らの良心にもとづいて考えて自由に投票し、
できるだけ多数の合意を調達しなければなりません。
さて、今の日本の国会で起こっていることはどうでしょうか。争点をごまかした「郵政選挙」、大政党に極端に有利で民意を十分正確に反映していると は言えない選挙制度、「郵政造反派」をいつの間にか取り込む民意の二重取り、不正を含むタウンミーティングなどの世論操作、ごまかしや不誠実な答弁にもか かわらず十分審議したとして強行採決に持ち込む姿勢、採決での党議拘束、「議論が空転したら与党単独で採決する」などという議論無視の姿勢、落第の材料ばかりそろっていると私は思います。
日本の政府与党・自公政権が、障害者から金をしぼりとる「障害者自立支援法」を作りたい、教育の主体を国民から国家に移す教育基本法を改定した い、権力者に都合のよい改憲手続加速法を通したい、憲法の原則を逆転させたい、労働者を追い詰める残業代ゼロ法案を通したい、市民的自由を大きく制限する ことになる共謀罪を成立させたい、というならば、これらが民主主義の原則や基本的人権を大きく揺さぶるものである以上、フランスが死刑を廃止した時のような厳密なプロセスを経ないといけないはずです。それが民主主義の道義のはずです。(皮肉入ってます。念のため。)
政府与党・自公政権が一転の曇りもなく改憲などを実現したいのなら、フランスが1981年の死刑廃止の時に示したような、歴史の審判にたえる民主主義の真の道義を貫かなければなりません。それならば日本を「美しい国」と呼んでもいい...かもしれません。 』 以上です。 村野瀬さま、ありがとうございました! 日本の現状を省みればその隔たりの大きさにめまいがしそうですが、こんなお手本が現実にあることを心強いと思い、諦めずに近づけるようにできることからはじめましょう!!! 諦めたらおしまいです。
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